2025年2月13日に
元気とはいえなかったけど、死ぬなんて予兆もなかった89歳自立の実父が亡くなりました。
夜勤に行くため準備していた14時30分頃、母からの携帯の着信が。なんだか嫌な予感がして電話に出ると、「お父さんが倒れた。どうしよう?」と母の声。すぐに救急車を呼ぶように言って電話を切り、仕事をどうしようかと考えながら準備を再開。すると母からまた着信。「どうしても電話をかけられない」と半泣き。気が動転していたようでした。父の意識はなかったみたい。救急車は私が呼ぶことにして心臓マッサージをするように指示しましたが、85歳のおばあちゃんに出来るはずもなく。救急要請をして、職場に事情を説明し休ませてもらえることに。近くに住んでいたので自転車で向かうと、救急車はすぐに着いたようで、私が着いた時には7人くらいの救急隊員がいて心臓マッサージをしていました。蘇生が出来る病院が決まり、搬送され延命処置をされましたが、懸命な治療の甲斐なく父は亡くなりました。
あまりに突然の別れにショックと後悔で胸が押し潰されそうでした。近くに住んでいたのに、最後に会ったのはその年の正月でした。
なにより長年連れ添った伴侶を突然失った母が不憫で、心配で。母によると、11時頃タクシーで隣町の駅ビルに出かけて、買い物をして14時頃タクシーに乗って帰宅して玄関で倒れたとのこと。母もしばらく「出かけなければよかった」と後悔ばかりでした。
職場に改めて連絡し、2月いっぱい休ませてもらうようお願いしました。最初は無理だと言われましたが、私は一人っ子だし母も同じことを何回も言って様子がおかしいし、1人に出来ませんでした。退職してもいいくらいの気持ちでお願いして認めてもらえました。忌引休暇だけでは足りませんでしたが、有休がたくさん残ってましたから。
3ヶ月近く経ち、ようやく落ち着いてきました。思い出さない日はないし、相変わらず「あの時こうしていれば」と後悔ばかりだけど。ここからは備忘録として残していこうと思います。
父は急逝だったので死因が不明、搬送先の病院では死亡診断書が書けないので警察介入となりました。悲しんでる間もなく、いろいろなことが始まりました。